02年3月分小学科説教


イザヤ書53章1〜11節  

説教題 本当に怖い顔
 先生には小さい頃、怖い本がありました。その本が自分の部屋にあることを想像するだけで怖くなる、そういう本です。その本の表紙には、一人の男の人の絵が描いてありました。「偉人伝」の本だったと思います。もう昔のことなので、誰の伝記だったか覚えていません。その人は、とても悲しそうな、つらそうな顔をしていました。今考えたら、こういうことだと思います。本当に怖い顔っていうものがあるとしたら、それは怒っている顔でも、叫んでいる顔でもなく、つらそうな、悲しそうな顔なんだろう、って。
 今日の箇所には、一人の人が歩いている姿が書かれています。その人をじぃっと見つめてみましょう。その人は、つらそうで、悲しそうな顔をしています。これこそ本当に怖い顔だっていうような、顔です。その人は、元々はきれいで、とってもすてきな、やさしい顔をしていました。でも、今は怖い顔です。怖い顔なんか出来ないはずの人が、怖い顔をしている。
 周りの人はみんな、この人に向けて石を投げています。みんな、顔なんか見ずに、はやし立てています。この人はなにも言わずに歩いています。
 どうしてもこの人の顔から目をそらすことが出来ません。なぜこの人はこんなに怖い顔をしているのだろう。一体何をこの人はしたのだろう。何か悪いことをしたからこんなに怖い顔をしているのだろうか。
 じぃっと見ていました。すると分かりました。この人が怖い顔をしているのは、自分が悪いことをしたからじゃない。本当は、今石を投げている人たちが悪いんだ。石を投げてはやし立てるから、あんなに怖い顔をしているんだ、って。
 もっとじぃっと見ていました。すると、びっくりすることに気づきました。あの怖い顔は、他でもない、まさに私のためにしてくれている。いよいよ目がそらせません。
 人間は、自分が怖い顔をしているところを想像できても、それをありのままに見ることは出来ません。怖い顔は、人間が作った鏡では映し出せないからです。でも今、はっきり分かることがあります。ああ、こういう方が、私たちのために、私たちの代わりに、怖い顔をしてくださっているんだなあ、って。私たちは、その怖い顔をした人が歩いていくのを見ています。十字架のもとへと。
           (玉川平安教会伝道師 上田彰)

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