99年2月分成人科教案



  教会学校成人科99年2月号(98年度)
 内容目次
  「王国の滅亡」2KI17:01-18,LUK13:01-03,PSA 07/Feb/98
  「ユダ王国滅亡」2KI25:01-26,MAR13:14-20,PSA 14/Feb/98
  「インマヌエル」ISA07:01-17,MAT28:20,PSA 21/Feb/98
  「苦難の僕」ISA53:01-12,1PE02:22-25,PSA 28/Feb/98

 今月のねらい
 「神の民の救いの歴史」という大きな題のもとに学んできた旧約の歴史も、後もう少しです。救いが「歴史」を通して現れる、ということは、よく考えてみたら、とても大事なことです。「神の手は速やか」であるのに、しかし「歴史を通じて主のみ救いは現れる」のです。そして、旧約の民にとって歴史とは「苦難の歴史」です。ここに、一つの問いが現れます。それは、「義なる神の民」がなぜ苦難を経験しなければならないか、ということです。古代からこの問いは、「まことに神は正しい方でいましたもうか」という形で人々の間に問われてきました。旧約の学びの終末は、この問いに対して正面から対決します。2月17日から受難週です。


  「王国の滅亡」2KI17:01-18,LUK13:01-03,PSA 07/Feb/98
 九十八年度成人科分級教案「旧約を生きる人々の信仰から私たちへ」禁無断複製

 大胆に今日の箇所を要約すれば、「神は本当にいるのか」という問いに集約されます。

2KI17:01ユダの王アハズの治世第十二年に、エラの子ホシェアがサマリアでイスラエルの王となり、九年間王位にあった。

 復習です。イスラエルは北王国イスラエルと、南王国ユダに分裂します。北王国は部族連合、南王国はユダ族だけの小国です。この「アハズ」もまた歴代の王の中で「主の目に悪とされる」ことをたびたび行った王として有名です。

2KI17:02彼は主の目に悪とされることを行ったが、彼以前のイスラエルの王たちほどではなかった。
2KI17:03アッシリアの王シャルマナサルが攻め上って来たとき、ホシェアは彼に服従して、貢ぎ物を納めた。
2KI17:04しかし、アッシリアの王は、ホシェアが謀反を企てて、エジプトの王ソに使節を派遣し、アッシリアの王に年ごとの貢ぎ物を納めなくなったのを知るに至り、彼を捕らえて牢につないだ。

 絶妙な政治・軍事的バランスの上で生き延びてきたのは小国にとって必然でした。しかしそれはここで悪い結果をもたらします。

2KI17:07こうなったのは、イスラエルの人々が、彼らをエジプトの地から導き上り、エジプトの王ファラオの支配から解放した彼らの神、主に対して罪を犯し、他の神々を畏れ敬い、
2KI17:08主がイスラエルの人々の前から追い払われた諸国の民の風習と、イスラエルの王たちが作った風習に従って歩んだからである。

 この箇所を倫理的に読まない必要があります。問題になっているのは、「神は本当にいるのか」です。

・そんなことを言っても、やっぱり神様がいるからこそこのように宗教的退廃を斥けるのだ
・いや、実は神様はいないのでは
・神様がいるかどうかは私たちの行為にかかっているのだろうか?

2KI17:18主はイスラエルに対して激しく憤り、彼らを御前から退け、ただユダの部族しか残されなかった。

 なぜユダの部族を残したのでしょうか。




  「ユダ王国滅亡」2KI25:01-26,MAR13:14-20,PSA 14/Feb/98
 九十八年度成人科分級教案「旧約を生きる人々の信仰から私たちへ」禁無断複製

 喜びには一種類(私たちが神のものとされること)しかないのに、悲しみには何種類かあるように見えます。なぜでしょうか。

2KI25:01ゼデキヤの治世第九年の第十の月の十日に、バビロンの王ネブカドネツァルは全軍を率いてエルサレムに到着し、陣を敷き、周りに堡塁を築いた。

 「包囲」された悲しみ。

2KI25:02都は包囲され、ゼデキヤ王の第十一年に至った。

 それが長く続く悲しみ。

2KI25:03その月の九日に都の中で飢えが厳しくなり、国の民の食糧が尽き、

 飢える悲しみ。

2KI25:04都の一角が破られた。カルデア人が都を取り巻いていたが、戦士たちは皆、夜中に王の園に近い二つの城壁の間にある門を通って逃げ出した。王はアラバに向かって行った。

 頼みとしていた力(軍隊)が逃げて・去っていく悲しみ。

2KI25:05カルデア軍は王の後を追い、エリコの荒れ地で彼に追いついた。王の軍隊はすべて王を離れ去ってちりぢりになった。
2KI25:06王は捕らえられ、リブラにいるバビロンの王のもとに連れて行かれ、裁きを受けた。
2KI25:07彼らはゼデキヤの目の前で彼の王子たちを殺し、その上でバビロンの王は彼の両眼をつぶし、青銅の足枷をはめ、彼をバビロンに連れて行った。

 目をつぶすということと足かせをはめるということは、サディスティックな響きがありますが、やはりそこには悲しみがあります。

2KI25:12この地の貧しい民の一部は、親衛隊の長によってぶどう畑と耕地にそのまま残された。
2KI25:13カルデア人は主の神殿の青銅の柱、台車、主の神殿にあった青銅の「海」を砕いて、その青銅をバビロンへ運び去り、
2KI25:14壺、十能、芯切り鋏、柄杓など、祭儀用の青銅の器をことごとく奪い取った。
2KI25:15また親衛隊の長は、火皿、鉢など、金製品も銀製品もすべて奪い取った。
2KI25:16ソロモンが主の神殿のために作らせた二本の柱、一つの「海」、台車についていえば、これらすべてのものの青銅の重量は量りきれなかった。
2KI25:17一本の柱の高さは十八アンマで、その上に青銅の柱頭があり、その柱頭の高さが三アンマ、柱頭の周りには格子模様の浮き彫りとざくろがあって、このすべてが青銅であった。もう一本の柱も格子模様の浮き彫りまで同様に出来ていた。

 丁寧に神殿の様子を叙述するということは、取り去られる神殿に未練があるということです。神殿を取り去られるという悲しみはことのほか大きいのです。
・神殿主義者というのもいるし、神殿が取り去られるというのはそれ自身では大したことはないのではないか。
・神殿は信仰のしるしだから、それは大きいことである。

2KI25:24ゲダルヤは彼らとその部下たちに誓って言った。「カルデア人の役人を恐れてはならない。この地にとどまり、バビロンの王に仕えなさい。あなたたちは幸せになる。」
2KI25:25ところが第七の月に、王族の一人、エリシャマの孫でネタンヤの子であるイシュマエルが、十人の部下を率いて来てゲダルヤを打ち殺した。彼と共にミツパにいたユダの人々もカルデア人も打ち殺された。

 急進派の台頭は、絶望からの自力脱出の試みです。
 しかし、仮の王ゲダルヤのすすめは、果たして妥当なのでしょうか。
・バビロンに仕えることは悪魔に仕えることであり、急進派はさすがにやり方がまずかったが、基本的には正しい。
・その時の権力に仕えることはある程度正しい。
・その他

                                       )
 エレミヤの預言も問題になります。
JER29:07わたしが、あなたたちを捕囚として送った町の平安を求め、その町のために主に祈りなさい。その町の平安があってこそ、あなたたちにも平安があるのだから。




  「インマヌエル」ISA07:01-17,MAT28:20,PSA 21/Feb/98
 九十八年度成人科分級教案「旧約を生きる人々の信仰から私たちへ」禁無断複製
ISA07:01ユダの王ウジヤの孫であり、ヨタムの子であるアハズの治世のことである。アラムの王レツィンとレマルヤの子、イスラエルの王ペカが、エルサレムを攻めるため上って来たが、攻撃を仕掛けることはできなかった。

 これは紀元前733年のことです。
 ユダ王(アハズ)――――寝返り――→――――――┐
   |        ゼブルン、        |
  提携の申し込み   ナフタリ、        |
   ↑        ヨルダンなど       |
 イスラエル王(ペカ)→喪失           |
   +          <=対決=>  アッシリア
 スリヤ(アラム、ダマスコ)→滅亡、キルへの連行
ISA07:02しかし、アラムがエフライムと同盟したという知らせは、ダビデの家に伝えられ、王の心も民の心も、森の木々が風に揺れ動くように動揺した。

エフライム Ephraim
 エジプトでヨセフに生まれた第二子で,兄マナセと共に祖父ヤコブの
 子として受け入れられ,イスラエル十二部族の中でも最も有力な部族
 の祖となった(創41:50−,創48:13−)。
 カナン占領後,エフライム族はパレスチナの中央部に,肥沃なエフラ
 イム山地を配分され,農業生活を発展させた。その農業の基礎の上に
 強大な勢力を持ち,王国分裂後は北王国イスラエルの指導権を執り,
 エフライムとイスラエルとは同義語となった。
 預言者は北王国の繁栄に言及している(イザ28:1,ホセ9:13,ホセ
 10:11)。しかし,この農業生活は,民をバアル礼拝に移行させる危
 険を伴っていた。


ISA07:09エフライムの頭はサマリア/サマリアの頭はレマルヤの子。信じなければ、あなたがたは確かにされない。」
ISA07:10主は更にアハズに向かって言われた。

 主はイザヤを通してアハズに語ります。「65年待て」と。そしてその確かなしるしが確実に与えられる。

ISA07:11「主なるあなたの神に、しるしを求めよ。深く陰府の方に、あるいは高く天の方に。」
ISA07:12しかし、アハズは言った。「わたしは求めない。主を試すようなことはしない。」

・アハズは「主を試さなかった」ところに信仰がある
・実は全然信じていなかった
・自分としては信じているつもりだが、本当は信じていなかった

ISA07:14それゆえ、わたしの主が御自ら/あなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み/その名をインマヌエルと呼ぶ。

 「深く陰府の方に、あるいは高く天の方に」求められるべき「しるし」があるというのです。

 

ISA07:15災いを退け、幸いを選ぶことを知るようになるまで/彼は凝乳と蜂蜜を食べ物とする。
ISA07:16その子が災いを退け、幸いを選ぶことを知る前に、あなたの恐れる二人の王の領土は必ず捨てられる。
ISA07:17主は、あなたとあなたの民と父祖の家の上に、エフライムがユダから分かれて以来、臨んだことのないような日々を臨ませる。アッシリアの王がそれだ。」

 アッシリアの王はシリア=エフライムを征服します。それは結局どういう役回りを果たすのでしょうか。

                                    )




  「苦難の僕」ISA53:01-12,1PE02:22-25,PSA 28/Feb/98
 九十八年度成人科分級教案「旧約を生きる人々の信仰から私たちへ」禁無断複製
ISA53:01わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか。主は御腕の力を誰に示されたことがあろうか。

ISA53:02乾いた地に埋もれた根から生え出た若枝のように/この人は主の前に育った。見るべき面影はなく/輝かしい風格も、好ましい容姿もない。

ISA53:03彼は軽蔑され、人々に見捨てられ/多くの痛みを負い、病を知っている。彼はわたしたちに顔を隠し/わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。

ISA53:04彼が担ったのはわたしたちの病/彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに/わたしたちは思っていた/神の手にかかり、打たれたから/彼は苦しんでいるのだ、と。

ISA53:05彼が刺し貫かれたのは/わたしたちの背きのためであり/彼が打ち砕かれたのは/わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって/わたしたちに平和が与えられ/彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。

ISA53:06わたしたちは羊の群れ/道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。そのわたしたちの罪をすべて/主は彼に負わせられた。

ISA53:07苦役を課せられて、かがみ込み/彼は口を開かなかった。屠り場に引かれる小羊のように/毛を切る者の前に物を言わない羊のように/彼は口を開かなかった。

ISA53:08捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか/わたしの民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり/命ある者の地から断たれたことを。

ISA53:09彼は不法を働かず/その口に偽りもなかったのに/その墓は神に逆らう者と共にされ/富める者と共に葬られた。

ISA53:10病に苦しむこの人を打ち砕こうと主は望まれ/彼は自らを償いの献げ物とした。彼は、子孫が末永く続くのを見る。主の望まれることは/彼の手によって成し遂げられる。

ISA53:11彼は自らの苦しみの実りを見/それを知って満足する。わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために/彼らの罪を自ら負った。

ISA53:12それゆえ、わたしは多くの人を彼の取り分とし/彼は戦利品としておびただしい人を受ける。彼が自らをなげうち、死んで/罪人のひとりに数えられたからだ。多くの人の過ちを担い/背いた者のために執り成しをしたのは/この人であった。








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