国家は回心しうるか ――アリストテレス、ルター、ニーバー――
 (現代哲学特殊研究bレポート)
 
 問題の所在
 ニーバーは、私たちが扱った『道徳的人間と非道徳的社会』の中で、人間の道徳的な本質を非利己的なものに、そして社会の道徳的な本質を正義の中においた。そして両者が本質的には一致しないことを示したのである。
 この問題提起を受けて、わたしたちはここで人間と社会のそれぞれが探求しうる道徳的本質の不一致という彼のテーゼがどこから来るのかについて、特にアリストテレスの『政治学』(岩波書店「アリストテレス全集」15,1969年所収)を対話の材料として探求してみたい。
 
 アリストテレス『政治学』について
 結論を先取りしていえば、アリストテレスにとって、人が良く生きることと国家が良くあることとの間には齟齬がなかった。ここではアリストテレスがいかなる国家のあり方を考えていたかについて、彼の発言を聞いてみたいと思う。
 
 「徳」の概念について
 彼はまず第一に、国家が何によって構成されているかを考えた。それを彼は分析的に理解して、村、家、個人という構成要素を提示している(第一巻第二章、以下1−2というように略記)。この個人は男女の区別の他に主人と奴隷(すなわち自由人と奴隷)との区別をもうけている。その差異は、自然的に支配するものと支配されるものとの区別が本来あり、それに則っているのだと考えられている(1−5以下)。この「自然」の概念がアリストテレスの国家観の中で重要なものである。なぜなら、国家は「自足」することが最善であるという主張がしばしばされるからである(3−9,特に7−4)。そしてそれを助けるために国家の中にさまざまな共同体があり、祭祀共同体もその一つとして考えられている(3−8)。
 もっとも、「自然」が全てを決定するわけではない。相対的な生まれの良さとか自由というものの有意義性を認めることに彼はやぶさかではなく、それは「所有」という概念によって表される。財産(妻、奴隷を含む)がこの概念とつながるのであり、それは「自然」と連関を持たないわけではないものの、環境といった他の要因と結びつく。
 ここで「財産」を「交換」することは悪で、「管理」することは善であるという主張がなされる。それは、「交換」は財産そのものの集積を目的としているからであり、それは自然的取得術とは認められないからである(1−9)。その中で最も良くないものが高利貸しである(1−10)。当然この財産を減らすことも非難されよう。
 このように、管理をして「自然」の状態を守ること、いわば放縦の状態にならないようにするためには「徳」が必要であり、その「徳」はそれぞれ(自由人ないし主人、奴隷、男、女、そして財産そのものも「徳」があるといわれる)の地位や生まれに応じたものが必要とされる。
 なお、この関連で、ソクラテスが目睹したといわれる「共有」について彼は否定的な見解に立っている。ソクラテスは「国が一つであること」に最高善を認めたがこれは種の多様性がなくなった「家」にすぎないとし、むしろ私有制を認めることにこそ意義があるといっている(2−2)。
 ここまでをまとめれば、アリストテレスは、自然的なものを(個体として)保持するところに「徳」の必要性を認めているということになろう。
 
 国家の徳について
 ところが、国家はこの個体によって構成されるにもかかわらず、その「国制」の如何によって異なるものになるという(3−4)。つまり、単に個体が集積していって地域に集合することで「国家」が出来るのではないことになる。(彼は「国家」とそれより広い「同盟」の違い、逆にそれより狭い共同体との違いに言及している。3−8,3−9)。
 この「国家」を成立させる「国制」については次の節で詳しく見るとして、ここでは「国家」に必要なものを彼が「共同体の安全」と定義していることを確認しておきたい(3−4)。そしてこれこそが善い国民の徳なのである(3−4)。本来このことは善い人間の徳とは区別されるのであるが、最善の国において両者は一致する。
 
 国制について
 それ故に、共通の利益を目指す国制こそが正しい国制であり、支配者の利益だけを目指すような国制はそこから逸脱したものだといわれる(3−6)。この正しい国制は、「善く生きるため」にあり、それは「幸福に生きる」ことと即座に言い換えられる(3−9)。そしてその目的のために立てられる支配者が誰であるかによって、国制が定まるのである。
 国制には、基本的に3種類あり、王制、貴族制、「国制」と呼ばれる。その逸脱形態としてそれぞれに対応して僭主制、寡頭制、民主制がある(3−7)。「国制」と呼ばれているものは、「国制の中の国制」といった意味であろう(逸脱形態と本来の形態との差異についての詳細は本論考と関係ないので割愛した)。
 ここでアリストテレスは貴族制の特徴を徳、寡頭制の特徴を富、民主制の特徴を自由と見なす(4−8。特に民主制のことについては6−2)。そして彼自身は「中庸」を重んじることから貴族制に軍配を揚げるのである(4−11)。
 最善の国制がもっとも望ましい生活の探求に始まるという彼のテーゼは、それゆえにその根本に徳の概念が敷かれていることが確認される(7−1)。
 
 「中庸」の概念、「自由」の概念について
 アリストテレスは『ニコマコス倫理学』でも「中庸」を徳としてあげているが、この『政治学』における「中庸」の概念の使い方について確認しておこう。
 第一には、「寡頭制(ないし王制)」、「民主制(ないし国制)」の中間のものとしておかれている。この形式的な用法としての「中庸」の概念(つまり「中間」という意味)はさらに第二の意味として、(3−16と4−4の法律と制令の違いを比較する文脈において)「普遍性」の概念とも結びつくことが確認される。4−4によれば、民主的な方法によって選出された政会が発する制令によって統治されていると、法律による統治とは違って、(悪い意味の)民衆指導者が現れる可能性があるからである。これは、徳の概念とは拮抗するし、財産の自然的な保持という彼の国家目的からもそれたものとなるからであろう。
 それ故に、民主制において本質的なものとされた「自由」の概念は、財産による参政権制限」からの自由を意味するが、決して「普遍性」とは結びつかないことが分かる。
 
 中世における「自由意志」「選択の自由」の議論について
 それでは、自由の概念は、宗教改革においてどのように受容されたであろうか。周知の通り、フランス革命が財産権をその関心の一つにおいたのに対して、宗教改革は「意志の自由」を問題にした。中世が「意志」という内的なもの、近代が「財産」という外的なものの自由を標榜していることは興味深い。ここでは金子晴勇の『近代自由思想の源流』(創文社、1987年)を参考にしながら、この宗教改革の時代前後における「意志の自由」の議論の変遷をみたいと思う。なお、金子は「近代」の開始の時点を宗教改革に認めているので、その点をお断りしておく。
 金子によれば、自律(Autonomie)と神律(Theonomie)が結びついて、他律(Heteronomie)を排除することこそが意志の自由の宗教的擁護であり、近代の開始である。そこではエラスムスによってサクラメンタルな救済観が非難され、ルターは「神の審判から良心によって免れる」と述べる(上掲書15ページ、以下15と略記)。中世キリスト教社会において、そしてルターの時においても、この「審き」の問題、従って「罪」の問題が重大問題であった。彼は「受動的な義」(19)が神から与えられることによって救われるといい、そのことによって「私を自由にしている」(16)と述べる。この自由は近代において人間を「欲望的主体」(ヘーゲル)、「利己的主体」(マルクス)としてしまっている。金子はいわゆる自由の世俗化によってこの問題を理解している。つまり、ルターは元々は自由を内的なものとして理解していたが、それが世俗化するに従って外的な、たとえば今日「良心の自由」といえば人権を指す言葉として用いられる(16)。(これは従来ルターの「二王国説」として理解され、ルターが政治思想の代名詞として用いられてきたが、異なる見解も流布し始めている。木部尚志、ルターの政治思想、早稲田大学出版部、2000年。)
 金子はビールの自由意志についての見解を紹介する中で(82,106)、「自由意志」(Voluntuas libera)と「選択の自由」(liberum arbitrium)と区別をし、人間(そして天使)が罪を犯したのは後者によるのであって、恩恵による「自由意志」ではない(106)。そしてそれはルターにも継承されているという(174)。
 自由の概念は従って、宗教改革時代において、神が与えた「良心の自由」として考えられていることが分かる。
 
 ところで、このことから、アリストテレスの「選択の自由」についての議論を提供しているのが木部尚志である。かれは以上のことをさらに詳しくこう解説している。
 アリストテレスの『ニコマコス倫理学』が、「願望はより多く目的に関わるが、選択は目的への手段に関わる」と定義するように、自由意志は、目的遂行の手段に関わる精神的能力であった。(Cf.Aristoteles,Ethica Nicomachea,1111b;1113b;…)。従って、神学的な意味での自由――とりわけ罪からの自由――とアリストテレスのいう手段選択の能力としての自由は、相互に区別されるべき意味内容を持つ。ジルソンによれば、アンセルムスにおいて用語法が確立された。(ルターの政治思想、226及び次ページ)
 このことから、アリストテレスの「自由」についての理解が同時にはっきりする。このような意味での「(選択の)自由」をアリストテレスは『政治学』の中で「(参政権の)自由」として理解している。つまり、アリストテレスは国家が「自由」の概念によって動くことを好ましいものとは思わず、あくまで「自然」の概念こそが重要であると考えていたことになる。
 
 ニーバーの社会(国家)理解(簡潔なまとめ)
 それでは、ニーバーにおいて国家とはいかなるものとして考えられていたか。彼は同書中では「社会」について言及しているが、これはアリストテレスの言う国家(ポリス)と似た規模を持っているといってよい。しかし中身は大きく違うのである。
 
 彼はまず第一に、社会の構成員として個人を考え、次に社会階層や共同体を考えている。そしてそれらの複合体としての社会(従ってその位置づけは国家に近い)があるのである。
 その個人は、「道徳的」なものとして描かれ、その特徴は非利己性にある。そして共同体(たとえば教会)まではその特徴を保つことがあり得るが、それが社会全体の特徴となることはあり得ない。なぜなら、社会の結束原理(あるいは目指すべき目標)は非利己性ではなく、正義にこそあるからである。正義というのは公正といっても良いし、平等といっても良いだろう。
 ここでニーバーは、個人を観察する際に、個人の罪性を前面には据えず、宗教的な資質を議論する時であってもその宗教性は人間の罪性を指弾する以上に「想像力」を惹起するという(たとえば「右の頬を打たれたら左を」という無抵抗(ないし非抵抗)を示唆する聖句によって、個人は感化を受ける、というように)。しかしそのことが社会全体の道徳のために果たす役割は限定的なものであると考えている。彼自身は、内面的な道徳ではなく「聖なる熱狂」と呼ばれる外面的な宗教性が理性に裏打ちされることによって作り出される「新しい人間」の出現に期待を寄せている。
 
 比較と結論
 このような議論をアリストテレスの国家観と比較してみると、どのような違いが見えて来るであろうか。
 まず第一に、国家の構成員である個人の措定の仕方が異なっていることに気がつく。アリストテレスにおいては「自然的な幸福を探求(保持)する」ものであったのが、ニーバーにおいては「道徳的な、時に非利己的にさえなりうる」存在として描かれている(もっとも、このような人間描写がキリスト教に於いてひとしなみになされているわけではない。例えばトレルチは「(個人の)自己犠牲は稀にのみ起こる」といっている。ヨーロッパ精神の構造、西村貞二訳、みすず書房、1952年、151ページ。同書でトレルチは個人を国家に奉仕するものとして描いている。ニーバーの問題意識や国家・個人理解と比較して読むと興味深い)。
 ニーバーが個人を自己利益を探求する存在として描かなかった理由は、彼が特別に楽観的な人間であったからではなく、「回心」の可能性を考えていたからであろう(それ故に、彼が非道徳的な個人を措定したなら、『非道徳的人間ともっと非道徳的社会』について考察する必要があったであろう)。
 しかしそれなら、道徳的な個人が道徳的な社会を作るとなぜ考えなかったか。それは、「個人」の単純な累積によって「社会」ができるとは考えなかったからである。社会の結束原理は個人の道徳原理とは異なる、という見解はニーバーにおいて矛盾はない。では、アリストテレスの場合には、なぜ「人間の徳と国家の徳の一致」を考えることができたのであろうか。それは、アリストテレスにおいて「徳」とは結束原理そのものだからである。アリストテレスにおいて、「徳」とは自然的に認識し、実行可能なものであった。ニーバーは決してこの見解に立たないであろう。彼は「自然」に道徳的な人間が発生するとは考え得ない立場にいるからである。
 もう一つ見逃すことができない違いがある。それは、アリストテレスは「国制」によってその個人が変わる可能性について指摘している。しかしニーバーについてはこの要素は欠落しているし、おそらく付け足すことはできないだろう。その理由は二つある。第一には、彼のいたアメリカという社会が、そのエートスにおいて(執筆当時)閉鎖的で、また「国家によって人が変わる」とは信じられない環境にあったことが推測できる。第二に、アリストテレスは「自由人と奴隷人」の区別を設け、「自然的に支配されることがふさわしい人間」についての参政権を認めていないのである。これによって「時に支配する側にも、時に支配される側にも、どちらにも回りうる国民」の存在を考えた(3−4)。これはニーバーにおいては取り得ない見解であり、彼は「アメリカ全体」を考えなければならなかった。そこにはおおよそ参政権を社会的良識に従って行使し得ない(教育的環境ゆえ)人も想定しなければならなかったであろう。そしてそのようにして成立している「アメリカ全体」はあまりにも広すぎて、そのエートスから個人の回心が生まれるとは彼には考えられなかったのであろう。
 そのことと関連して、ニーバーは「民主主義」の時代に生きているのである。アリストテレスはニーバーの悲嘆を理解するであろう。そこにはあまりに無際限の「自由」があるからである。しかしニーバーは「貴族制」に移行して徳の復権を訴えることも、「ルター的自由」への回帰を訴えることもしない。そうではなく、理性的な裏付けを持った「聖なる熱狂」を帯びた「新しい人間」の登場を願うのである。この事を、以下でアリストテレスの「徳」概念の批判を行うことによって裏付けたいと思う。
 
 アリストテレスの「徳」は、上述したように「自然」概念の保持を一つの特徴としているが、同時に「中庸」の概念と結びつき、また「普遍性」をも持ち合わせていることを既に確認した。「民主制」になぜこれがないかというと、「民主制」が「多数による政治」を志向するからである。アリストテレスは4−12において国家における「量と質」を問題にする中で、政治的多数は「量」、そして徳に関する事柄(生まれなど。自由も入る)は「質」といっている。つまり、国家を決定づけるのは「質」の概念であることが分かる。しかし、この「質」を裏付ける物は例えば「奴隷(や妻)の財産としての所有」であり、それはあまりにもニーバーの時代の社会とはかけ離れたものである。だからこそ彼はむしろ積極的にこの「量」を肯定する立場に自分をおいた。そのことによって彼は個人の回心の可能性がない「自然」から自由な社会を確保しようとしたのである。
 ではそこにおける「回心しない社会」の問題はどうなるか。楽観的な(これこそが彼に欠けているものであるが!)展望を述べれば、次のようになる。すなわち、「回心しない社会」が「回心」するようになる可能性を、かれは「回心した個人」の出現に見いだしている。そしてアリストテレスの考えるような「回心し得ない個人」からは決して「回心した社会」は生まれ得ない。私たちの考える「祭祀共同体」は国家の自足の目的ではなくて、「国家を越える国家」の建設に寄与する共同体だからである。