教会法、特に議長を巡って(教規96条問題)


 以下の問答は、教憲・教規を解釈する立場にある、ある教職とのやりとりに基づいていますが翻案及び文責は上田にあります。
問い: 教団の職制は会議制においても議長に強い職権を与えているように思えます。たとえば、教職の進退といった重要な事柄についても、議長席に留まることを原則として求めています。教規96条4項はその補強になっていると思います。つまり、事故があって主任担任教師がいなくなった場合、担任教師または信徒が議長を務めますが、主任担任教師による総括のための署名捺印が必要です。これは、「信徒が議長であるような総会は存在しない」という風に考えて良いでしょうか。
答え: 牧師が事故でいないのであれば、議場についての責任はとれませんから、その場合には信徒が議長ということになりましょう。総括の署名の意味は執行責任です。

問い: 96条2の「事故」を狭く取れば先生のおっしゃるとおりになるかもしれません。しかし、牧師の人事や謝儀のことを扱うときなどに信徒の仮議長をおくこと、また逆に総会の招集者である主任担任教師が開会時の仮議長をつとめ、そこで議長選任の手続きを取り信徒が議長席に着くこと(バプテストとか)といった例は、特に前者などは多く見られると思います。この時は、「事故」の解釈を相当広めに取っているのだと思っていました。「その場に主任担任教師がいるけれども議長席にいない」というのは「事故」になるのでしょうか。ならないと考えた方がよいのでしょうか。この事にこだわるのは、「総括」の内容を「執行」に限定すると、「信徒が議長である総会」が成立することになり、その意志決定を「執行する責任のみ」を主任担任教師が追う可能性が生じることになり、それは教憲・教規の想定する教会像と違うのではないかと思ったからです。
答え: この場合、信徒が「司会」をしていることになります。人事や謝儀などの件で仮議長を置いたときは、議事の中に仮議長選任の件を置き、署名する議長は仮議長ではなく、あくまで議長です。主任担任教師が仮議長となることは教規上認められません。バプテスト教会の場合、現実には議長は教師で、信徒が司会者という形で行われており、会議の責任者は主任担任教師の議長です。したがって、「その場に主任担任教師がいるけれども議長席にいない」というのは事故にはなりません。辞任、解任の総会で教区から議長が派遣された場合はその例外になりますが、その場合も原本証明は主任担任教師になります。

問い: 一つ細かいことですが、辞任についても教区から議長が派遣されることがあるのでしょうか。つまり、辞任に関して教区が扱うことがあるか、という質問になると思うのですが。
答え:辞任就任の総会に教区が関わるところはあります。教会の依頼によって行うところもあれば、奥羽教区のように原則的に行っているところもあります。

(教規第96条)
2003/04/14(月) 
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