十字架聖金曜日(2005)
Karfreitag(2005)
In Passionzeit 2005 am Bismarkplatz ist ein Bild neu gemalt. Ich denke, Jesu ist nicht Beerdigter sondern Beerdigender. Ein Stein vor dem Grab ist unserer Verstand, "Auferstehen unvorstellbar". Dies Stein ist unbewegbar fuer Menschen. Allerdings ist er bewegbar fuer den echten lebendigen Mann, Jesu. Am Bismarkplatz, HD
ハイデルベルク、ビスマルク広場
「(主は)十字架にかけられ、死にて葬られ、三日目に死人の中からよみがえる」。
「ヨセフはイエスの遺体を受け取ると、きれいな亜麻布に包み、岩に掘った自分の新しい墓の中に納め、墓の入り口には大きな石を転がしておいて立ち去った。」
死者は亜麻布に巻かれて、光のないところに収められます。亜麻布によって死者と生者の世界は区別されます。大きな石によってもまた死と生の世界が隔てられます。
ところでこれを逆に考えたらどうなるでしょうか。イエスは世界を亜麻布に来るんだ。なぜならこの世界は死んでいるのだから。
今や主は墓の向こうに隠れてしまわれた。そしてこの世界は真っ暗闇です。この石がなければ、再び世界は明るくなるのに!
石を取り除くことを阻む力がこの世には働いています。「決して死人はよみがえるはずがない」という常識がこの石に重みを加えているのです。
この石を取り除き、この包帯を取り除くことは私たちにはどうしても出来ない。ただ待つしかないのです。
いや、私たちはあのお方を待つことが出来る。
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