以下のテーゼは日本伝道のために召されている全てのキリスト者、とりわけ牧師としてのつとめを自覚する同志に対してまとめられたものである。私たち神学者は、神学の営みと伝道への熱意を切り離してはならない。
 このページにおいて書かれているテーゼは、他の全てのページにまさって常に工事中であり、従って常に改定され、改革される。
 起草開始:2007年5月20日

 テーゼ:伝道の本質(様相)はキリスト教を経験させ、経験することである。このことから導出される重要な帰結は、伝道はこの地上で歴史として展開されるということである。教会の歩みは伝道史と呼ばれる。

 テーゼ:伝道の本質(質料)は聖霊によってこの世で肉を取った神の体である。使徒信条は「聖霊によって身ごもり」とこの間の事情を語る。「聖霊論的受肉」の神学は正しく営まれた場合、カルケドン定式を次のように発音し直す。「真ニ人、真ニ神」。受肉は托身ともいわれ、御子が滅ぶべき肉体を身にまとうことを意味するが、これを「献身」と捉えたときに、キリスト者の献身が課題となる。受肉はまたロゴス(神の知恵)が人間の言語によって捉えられるようになることをも意味する。このことを単純に「認識可能」とのみ捉えてはならない。ロゴスの受肉は啓示の認識可能性とともに啓示にのっとった行動可能性を意味するからである。

 テーゼ:キリストとの出会いは初代教会において驚きをもって捉えられた。その驚きは文書化される。従って聖書が解釈されるとき、この驚きが伴う。聖書は解釈されなければならない。聖書解釈史は歴史として発展する。教会の歩みは聖書解釈史でもある。


2009/06/01(月) 伝道の神学への問い

神学はすべからく伝道的であるという主張が存在する。この主張が
1)真の場合、伝道の神学という特定領域は存在しないので主張そのものに意味がなくなる。
2)偽の場合、伝道の神学とそれ以外の神学とは関係を持たなくなる。従ってどちらかのみが意味を持つようになる。排他的な関係。

おそらく1)も2)も正しくなく、神学は伝道的でありつつ伝道的ではないという命題が成立することが容易に予測される。

2009/06/01(月)
伝道の神学の諸モチーフ

1)16世紀の伝道最初期に宣教師は日本人について聡明で礼儀正しい民族であると本国に報告している。彼らはこれが伝道の切り口になると考えていたことになる。(他に賀川)
2)日ユ同祖論とかネストリウス派キリスト教が6世紀に日本に来ていたのではないかといった議論(さらには青森の戸来(へらい=ヘブライ?)村でキリスト祭りがされているなど)は、日本にキリスト教を受け入れる宗教的素地が存在したという主張である。(教育勅語発布により国家レベルでのキリスト教化の可能性が絶たれて後、20世紀初頭において内村、中田を含めてかなりの人が試みた伝道運動)
3)仏教を弁証するというのは仏教を信じている人には仏教よりも優れた宗教を信じる余地があるということを前提にした行為である。これは信徒言行録においてパウロが試みたことがある伝道方法でもある。(あるいは現代カトリック)
4)浄瑠璃やいくつかの人情話など日本人の精神文化にキリスト教的真理の断片を見いだすという主張がある。(新渡戸、北森)
5)現代社会における物質文明の行き詰まりはある意味それ自身で気づきうるものでもある。しかしそれを救済論的に転換する鍵としてキリスト教を提示する。(南原、矢内原)


2009/06/11(木)
第三のサクラメントとしての献金?

献金の匿名性は今日議論としては古び始めているようにも見える。献金報告の中で個人の献金額を公表することなどは問題外で、個人名を公表することさえ躊躇する例も多いと聞く。ここには献金の文化を巡るいくつかのプロトタイプが存在し、これらを分析する中で今日のキリスト教会における献金の匿名・有名性について考える必要がある。
1)神社・境内奉献モデル。ここでは奉納した金額が石に刻まれ保存されるようになっている。つまり、他の人との比較によって社会的身分や地位との関連から拠出する額が自ずと決まり、石に金額と地位が刻まれるという考え方である。実務的に言ってこの方が寄付が集まるという説もあるし、逆に突出した学を収めにくくなるという考え方もあり、そのいずれになるかは状況によって異なる。また、そのような社会的地位や身分を勘案することが出来るのは確固とした地域共同体がある場合のみであるということも言われる。
2)奉納帳記載モデル。しかし、実際問題として寄付した金額と寄付者の固有名詞とのつながりは歴史的には重要な意味合いを持つ。そのことを考えるために、献金は第三のサクラメントであるというJ.L.アダムスが紹介しているテーゼを引き合いに出せば、「サクラメント」への参与者について明確な記録を残し、なおかつ公開することには意義があることになる。
3)小教会と大教会の違い。20人の教会員で一人の牧師を経済的に支えているという地方における典型的なケースを考えれば、教会員は全員全力で献金しているので、金額の多寡は関係なく氏名と献金金額は公開されるのが当然という風になる。100人の教会員がいる都会のケースを考えれば、かなり事情が異なる。都市における各教会員の教会への参与の仕方は多様であり、結果として100人「も」いるのに一人「しか」支えられない献金が献げられているという実態となっている。(もっとも、他教会への支援などに力を割いている場合も多い。)
実際に当該事項について議論する際には、都市化の原理とか非神道のロジックなど、複合的な要因によって決定されるが、私見では両論が存在し、しかも相当に複雑な背景が存在する。議論の際の論点推薦には十分な理解が必要である。

2009/06/11(木) 民主主義はどこからくるか

日本の民主主義は外からのものであるということが言われる。確かに現在の憲法が提示している民主主義の理念は日本人の手によってなるとしたらあと50年は必要だっただろうし、憲法制定から60年を超えている現在本当にここで示されている民主主義が理解されているかというのも怪しい。
フランスにおける民主主義の発祥を1789年に求めることは、フランス革命そのものの意義を低く評価する達の間でさえ否定しがたい事実である。フランスの国旗はこの時以来三色旗であり、自由・平等・博愛というモットーは、財産権の保証が明記されている1848年の革命によってフランス革命は「市民」の革命となったと評価する議論を超えて、根深く「民主主義」と結びついている。
日本において民主主義と結びついているのはなんだろうか。あるいは憲法に提示されている民主主義の理念を現実化するためのシンボルはなんだろうか。私は、この観点からいわゆる「ハト派的平和主義」への護憲派のこだわりが説明できるのではないかと考えている。広島・原爆死没者慰霊碑の石室前面には、「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」と刻まれている。この文章の「主体」は誰であるかというのが1950年代に極東裁判のインド人判事によって問題提起され、あるいは例えば70年前後の新左翼によって批判された。しかしここで提起されていることはもっと単純で、「かの戦争は悲劇であった」という事実想起である。これが事実想起にとどまる理由は、私見によれば民主主義の理念を現実化するためのシンボルはこの事実提起で十分だからだ、ということになる。
民主主義は世界に通用する理念であるのかどうかという問いがブッシュ息子大統領のイラク侵攻以来議論となっている。端的に言えばイスラム教世界において民主主義という概念は存在しないし大方適合もしない。民主主義は数学的な意味での普遍的真理であるというよりも歴史的な真理であるので、「民主主義は伝達される際には伝道という形をとらざるをえない」という考えはそれほど間違ってはいないと思われるが、この議論は結果的に民主主義の理念を惹起させるシンボルとしてキリスト教が大きな役割を果たしていることを示している。ただし、キリスト教は西側民主主義の唯一のルーツではないことは常識である。フランスの民主主義が1789年にルーツを持つというのがシンボル的にしか正しくないのと同じくらい、常識である。従って、民主主義はキリスト教を超える理念であると主張する場合には、それにふさわしいシンボル作りを進めなければならないし、逆の立場を取る場合は今のシンボルの実質化を進めなければならない。この後半が民主主義の立場から見た神学者への要求である。

2012/06/27(水)
 「日本の神学」の大きな柱は「福音理解の土着化」(誤って文脈化の「神学」と呼ばれますが、神学の課題の中で福音理解はそのすべてではありません)と日本キリスト教団固有の教会論(「伝道途上国である日本における教会論」)の確立である。教憲第一条で「主の体たる公同教会の機能を行使し、その存立の使命を達成する」と書かれているのを伝道論を中心に据えて達成しようという試みは、西洋の区分でいうリベラルな神学の立場の教会(あるいはアメリカの区分でいうメインラインチャーチ系)の中では、世界中のどこにおいても単にアイディアで終わっている事柄(あるいは意識さえされていない事柄)といえる。
 WCCのmissio deiの議論の大きな問題は、「まず社会」なのか「まず教会」なのかどっちかしかあり得ないという二者択一の構図に世界中どの神学者ももれなく巻き込まれたということである。なぜ誰一人として、この二者択一が恣意的であるということを主張しなかったのか。
 調停的な議論としては、まず、
 (1)社会へのアプローチを重んじる立場でも、教会形成を重んじる立場でも、その活動の中心的な場所が教会でない限り、教会の機能行使にはならない。
 他方、
 (2)キリストの香りを放つわざが社会においてどういうインパクトをもたらすかについては、社会の現状を無視して議論することは不可能で、キリスト者でない人がこれほどに結婚式をキリスト教風に挙げる国はないし、葬儀のやり方に関心を持つ文化もそう多くはない。わざわざ風呂敷を使って福音理解を説明したり、ご飯と味噌汁で聖餐式だと言ってみたりする文脈化神学(だけ)が「日本の神学」なのではない。
 たとえば、聖書を読みながらなされる教会形成が、伝道論を中心にされるという、万国福音同盟9箇条の私たちなりの受け止め方自身が「日本の神学」と呼びうるものの核となる。
 社会的な証のわざについては、良いわざを示す(人々の基準に合う範囲で)という側面と、旧来の文化への挑戦を行う(つまり人々が考えるよりもさらによいわざを示す)という側面がある。
 たとえば、教会で雇い止めの人々を受け入れるときに、一方で甚大な努力をして(たとえば「くさいのを我慢して」。これは「教会が変わる」というメタファーとも取れる)受け入れる一方、ともに聖餐に与るために、洗礼準備を通じて祈る(これは世界が変わるというメタファー)。
 あるいは、旧来の文化への挑戦として、国家と教会の分離が「国=お上による規制と温情によって生きる人々」という構図を打破しうるはずで、伝道論の課題として設定したい。たとえば3.11以降の神学というのはどういう形であり得るか。メディア(特にマスコミ)への人々の対峙の仕方が原発報道などで変わってきている。「お上やマスコミから自由な、新しい人間」像の展開と提示(「新しい日本人」という標語は日本伝道論の柱となる)が伝道論の課題の中でなされるとよいと思う。
 もしそうならず、キリストの名を教会から社会に向けて発信するという感覚がなくなり、お上のお許しの元で教会の中でいわばこそこそと福音を語るサラリーマン牧師のような存在が出てくるようなことがあれば問題である。
 まとめ:伝道論を中心において神学を再構成することで、従来別個と思われていた課題を吸い寄せることが出来る。そのために既存の神学をヒントにしないといけないけれども、そこにとどまっている限りは決してどこにも解答が存在しない。(その基本の一つに万国福音同盟があり、私たちの教会は単純に宗教改革だけを継承しているわけではない)

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