2000年度修士論文
「シュライアーマッハー『信仰論』におけるキリスト論
――特にペルソナの問題を巡って―― 」
要旨(本文は、諮問が終わったら公開します)
(目次)
 序――基本命題の解説―― (1)
 神意識について (11)
  GL序論の場合
  GL本論の場合
 キリスト論 (20)
  キリストの人格について
   キリストの人性
   キリストの神性
  ペルソナの議論の批判的考察
 評価と展望 (36)
  歴史性の問題
  いわゆる「二つの焦点」について
  聖霊の神学の可能性
(参考文献)
 一次資料(書名、(訳者名、)発行地、発行年。)
Der christliche Glaube nach den Grundsaetzen der evangelischen Kirche im Zusammenhange dargestellt Zweite Auflage,Berlin,1830/31.
The Christian Faith, trans. and ed. by H.R.Mackintosh and J.S.Sttewart,Edinburgh,1928.*1999 1st paperback edition, foreword put by B.A.Gerrish
信仰論序説、三枝義夫訳、長崎書店、1941年。
キリスト教信仰(『現代キリスト教思想叢書』1所収)、今井晋訳、白水社、1974年。
信仰論、高橋英夫訳、筑摩書房、1991年。
 二次資料(著者名、書名、(訳者名、)発行者・発行地、発行年。)
(翻訳であっても実際に使ったものを掲げた。論文なども発表年ではなく、発行年で表記した)
・特にシュライアーマッハーが中心の文献
B.A.ゲーリッシュ、シュライエルマッハー、松井睦訳、新教出版、2000年(A Prince of The Church,Fortress Press,1984)。
Maureen Junker, Das Urbild des Gottesbewusstseins(Schleiermacher-Archiv),Berlin,1990.
R.Niebuhr, Sch. on christ and Religion
倉松功、F.E.D.シュライエルマッハーの「信仰論」についての一考察(『東北学院大学論集』43号所収)、1963年。
・シュライアーマッハー以外についても論じているもの
アウレン、勝利者キリスト、佐藤敏夫・内海革訳、教文館、1982年。
K.Barth,From Rousseau to Ritchel,tra.by Brian Cozens,SCM Press,1959(Die protestantische theologie im 19. jahrhundert).
カール・バルト、シュライエルマッハーとわたし(『神学者カール・バルト』J.ファングマイアー著所収)、加藤・蘇訳、教団出版局・アルパ新書、1971年。
S.Faut,Die Christologie seit Schleiermacher,Tuebingen,1907.
熊野義孝、現代の神学(『著作集』第十一巻所収)、新教出版、1979年。
熊野義孝、キリスト教の本質(『著作集』第六巻所収)、新教出版社、1978年。
H.R.Mackintosh, Types of modern theology,London,1964(1937).
A.McGrath, Making modern German Christology,Oxford,1986.
モルトマン、いのちの御霊、蓮見和男・沖野政弘訳、新教出版、1994年。
森田雄三郎、キリスト教の近代性、創文社、1972年。
パネンベルク、キリスト論要綱、麻生信吾・池永倫明訳、新教出版、1982年。
ペールマン、現代教義学総説、新教出版、1982年。
佐藤敏夫、近代の神学、新教出版、1964年。
シュトラウス、イエスの生涯、岩波哲男訳、教文館、1996年。
Helmut Thielicke,Modern faith and theology,tra.by Geoffrey W. Bromiley,Michigan,1990.
ティリッヒ、組織神学第二巻、谷口美智雄訳、新教出版、1969年。
Welch,Protestant Thought in the Nineteenth Century VOLUME I 1799-1870,Yale Univ. Press,1972
・シュライアーマッハーに直接言及していないが、本論考を作成する上で陽に引用し暗に利用した文献
カルヴァン、キリスト教綱要、渡辺信夫訳、新教出版、1962年(第10版1971年)。
エイレナイオス、異端反論(抄訳が『原典古代キリスト教思想史』所収)、小高毅編、教文館、1999年。
芳賀力、啓示、象徴そして物語(『福音の神学と文化の神学(佐藤敏夫献呈論文集)』所収)、倉松・近藤編、教文館、1997年。
I.カント、実践理性批判、波多野他訳、岩波文庫、1979年。
近藤勝彦、「マコトニ神、マコトニ人」(『神学』45号所収)、1983年。
モルトマン、『いのちの御霊』、訳、新教出版、年。
A.A.van Ruler,Calvinist Trinitarianism and Theocentric Politics,tra. by John Bolt, NY,1989.
スピノザ、エチカ(『世界の名著30所収』)、工藤・斎藤訳、1980年。
トレルチ、信仰論、安酸敏真訳、教文館、1997年。
上田光正、カール・バルトの人間論、教団出版局、1977年。
(要旨)
 本論考は、シュライアーマッハーのキリスト論を正統神学的立場から論じることを目的とした。シュライアーマッハーは信条から始めて信条に終わるという意味で正統主義ではなく、この論点先取の虚偽を回避するため彼は「絶対依存感情」から『信仰論』の叙述を始める。「まことに人、まことに神」という発音に特色がある。それ故本論考では第一章で「絶対依存感情の保持は彼自身の内なる神存在を意味する」というテーゼについて検討した。そしてそのことは直ちに絶対依存感情の持ち主をナザレのイエスに限定する。この考察をする第二章が本論考の中心点であり、第一節は人性の叙述と神(性)の叙述とに分けられる。彼のキリスト論の教説はエンヒュポスタシスとアンヒュポスタシスをいずれも承認する。これを導出するテーゼが「受容性は聖霊の活動の型である」であり(これを本論考では「平凡さの極みに非凡さがある」とも発音してみた)、その共通点(平凡さ、受容性)とは「民衆性」という、シュライアーマッハー自身が用いる単語によって集約される。特にこの論考ではこの単語の持つ重要性に注目し、批判した(第二章第二節)。そして第三章では上掲目次に見られるような諸点について今後の研究の可能性を示唆した。なお本論文の段階では「絶対依存感情」を「聖霊」とは直ちに同定せず、バルトの警告通り慎重な姿勢を取ってある。
 執筆にあたって特に示唆を得た文献として諸書挙げたい。バルト『19世紀福音主義神学』はシュライアーマッハー神学の重要な特徴の開示、近藤「マコトニ神、マコトニ人」は神学全体のキリスト論への投射の例示、シュトラウス『イエスの生涯』は最も鋭いシュライアーマッハー批判、スピノザ『エチカ』は「感情」概念の概念史についての問題提起、パネンベルク『キリスト論要綱』は人性の救済論的普遍性の意義の示唆をそれぞれ与えてくれた。

上記「正統」から「神学」への書き換えを含む太字の追加は2004年10月に行いました。