洗礼試問は必要か


 すみません、今手元に教憲・教規がないので全部記憶で書きます。
問い:陪餐に際して洗礼を受けている必要があるというのがキリスト教会の定義です。この場合、「洗礼」の位置づけについて教憲・教規はどう規定しているでしょうか。
答え:洗礼を受けるに当たって悔い改めおよび罪の赦しの信仰、三位一体なる神への信仰に基づきキリスト者として社会の中で自覚的に生きていくこと、一回性のものとして考えられていることなどはむしろ式文・生活綱領に基づいています。教憲・教規を拡張して信仰職制委員会発行の『先例集』において確認できることとしては、他教派からの転会の場合には三位一体の神またはキリストの御名によって洗礼が授けられているかどうかが唯一の基準だということになります。ここでは教憲・教規はという質問なので内的自覚の問題ではなく外的現れの問題として以下考えてみることにしましょう。

問い:礼拝の中で「今信仰があると思う人は聖餐を取ってください」とやっている教会に行ったことがあります。
答え:もしそれがキリスト教会であるのならば、洗礼と聖餐の順番を何らかの形で考えているでしょう。たとえば、「今信仰がある」と思った人はすでに霊の洗礼を受けておりそれで十分だという考え方かもしれません。

問い:教憲・教規はそれについてなんと言っていますか。
答え:教規85及び86条に基づく各個教会の教会規則(以下「85条教会規則」)によれば、洗礼は事前の役員会における試問が必要となっています。


問い:では話を洗礼試問の形態に絞ります。ある教派的伝統によれば、洗礼に際して牧師による試問で十分だという教会もあるようです。
答え:旧教派の伝統がいかに教憲・教規の中で生かされるかは一つの課題でしょう。1972年以前に教会を設立しているケースの場合、85条教会規則を持たず、旧教派の伝統に基づき行うことが認められています。

問い:教団がそれを公式に認めているのですか。
答え:85条教会規則を教団に提出していない場合、「宗教法人による教会規則によって代用するように」という通達を出していますがこの通達には意味がありません。なぜなら、宗教法人規則の中では教会総会が法人役員を選出するとあり、教会総会の構成員は現住陪餐会員と明記されているにもかかわらず現住陪餐会員の定義を規則の中に含んでいないからです。宗教法人の教会規則は85条教会規則を本来前提にしています。

問い:実際問題として役員会が試問を行う実力があるのかという問題もあると思います。
答え:単純に試問は役員会が事前に行うとあるだけでその内容については明記されていません。実際、伝道所で洗礼志望者がいる場合には役員会がない場合があるので試問は行えませんし、役員会での教理的な教育がなされていないケースもあることでしょう。これは伝道途上国において短期の洗礼教育によって洗礼者が出ているという実態を無視するわけにはいきません。キリスト教が強いといわれるヨーロッパでは通常1年程度の洗礼・堅信礼教育が普通になされているのです。さてそれはともかく、教理の擁護については教憲・教規はその責任を教職におくのか、役員会におくのか明記していません。試問が出来る程度の役員会は育ててほしいということでしょう。

問い:もし85条教会規則を持っている場合、旧(とつけた方がいいわけですね)教派の伝統に則って事前試問でなく事前承認を行うことは出来ないのでしょうか。
答え:「事前試問」とあるところを「事前承認」に読み替えることが出来るかという問題については、公式には役員会がその権能の一部を牧師に委任したということになります。(事後承認を常態化する慣習については難しい問題をはらみます。)そう役員会議事録で明記するかどうかはともかく、意識として浸透させる意義はあるでしょう。本当は役員がやるよう教団は求めているが、新しい霊の命が生まれるかどうかという重大問題についてここまで牧会してきた牧師に全責任を負わせてほしいという形になります。単純に代理でやっているというままではだめでしょう。
洗礼者を生み出すことはキリスト教共同体の喜びですが、これを共同体として責任を持って行えるようになったときにその共同体は「伝道所」ではなく「教会」と呼ばれます。


2006/05作成
(教規第85,86条及び対応する日本基督教団◯◯教会規則(準則6及び11条相当)、宗教法人日本基督教団◯◯教会規則(準則)、信仰職制委員会発行『先例集』(古い方にも出ています)、日本基督教団『式文』、生活綱領
 
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